個人開業の医院・クリニック事業承継(M&A)5つの注意点
医院・クリニック開業時は、経営を安定させることで頭がいっぱいで、事業承継や廃院のことまで想定していない先生が大半ではないでしょうか?
特に、医療法人ではなく個人開業の場合、後継者がいなくて自分一代限りで廃院と考えている先生も多いでしょう。
しかし廃院にも様々なコストと手間がかかってきます。
後継者が身近にいない場合は、廃院だけではなく、M&Aも視野に入れた方が良いでしょう。
M&Aを活用した事業承継は、廃院よりもメリットがあることが多いためです。
そこで今回は、個人開業のクリニックのM&Aの注意点をいくつかお話します。
医療法人のM&Aは、個人開業とは違いがあるため、別記事で詳しくお伝えします。
事業承継とM&Aの違いとは?
一般企業だけでなく医院・クリニックの後継者問題でも、よくM&Aという言葉が出てきます。
そもそもM&Aとは、「Mergers(合併) & Acquisitions(買収)」の略で、企業の合併および買収の総称です。
複数の企業が1つになる合併や、ある企業が他の企業を買い取る買収であり、親子間の事業承継と異なり、第三者への承継となります。
医院・クリニックのM&Aは個人開業医か医療法人で違いはありますが、根本的構造は至ってシンプルです。
現在の院長から、開業希望者の院長にクリニックを譲渡する。ただそれだけです。
ですから親族間やスタッフ間の事業承継同様、クリニックそのものは今まで通り地域に残り、引き続き診療が行われます。
親族や副院長等に事業承継できない場合は、廃院かM&Aという道を選ぶことになります。
しかし、廃院には廃院コストや患者さんの引き継ぎなど、多くの複雑な問題点があります。
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もちろん、廃院を選ぶ方が良いようなケースもありますが、譲渡益を得られ、地域医療が存続できるM&Aも視野に入れて総合的に検討しましょう。
医院・クリニックのM&Aを活用した事業承継のメリットとデメリット
では、廃院と比べた場合の事業承継(M&A)のメリットとデメリットについてお話します。
ここでは、個人開業医の場合についてお伝えします。
- 廃院コストがかからない⇒廃院コストは1,000万円以上かかることがある
- クリニックの譲渡益(営業権含む)が得られる
- 借入金などに対する個人保証や担保提供を外すことができる
- 労務問題や資金繰り問題から解放され、本来の医業に集中できる(医師を続ける場合)
- 地域医療を継続できる
- 後継者とのマッチングを考えないといけない
- 望んだタイミングで事業承継できないことがある
- 譲渡益に税金がかかる
このように、事業承継には廃院のデメリットを解消できるほどのメリットがあります。
それに加え、事業承継の場合は、買い手にとっても次のようなメリットがあります。
新規開業より初期コストが安くて済む
患者ごとに経営を引き継ぐことができる
従業員を新しく雇わなくても人材確保ができる
事業規模や診療圏を拡大できる
こういったことから、M&Aを活用した事業承継は売り手にとっても買い手にとってもメリットがあります。
【注意点1】行政手続き上は現在のクリニックは廃院して新たに開業
経営者を交代させ、理事長の変更、出資または基金を承継することで承継が終わる医療法人と違い、個人開業のクリニックの場合は取り扱いが複雑です。
まず、行政手続き上は、現在のクリニックは廃院して、同じ場所に新しいクリニックが開業するという扱いになります。
そのため、旧院長は廃院届を必要とし、新院長は開設届が必要になります。
【注意点2】個人開業の医院・クリニックは雇用関係や負債が引き継がれない
旧法の医療法人のM&Aは出資持分譲渡になりますが、一方個人開業の医院・クリニックのM&Aでは「資産売却」という形で譲渡します。
引き継ぐのは、クリニックの建物や医療機器だけで、資産以外の負債は引き継がれません。
これは中古の家の売買で言えば、前の家主のローンを次の家主が引き継がないのと同じことになります。
それと個人開業の医院・クリニックで注意したいのは、スタッフとの雇用関係やカルテが原則引き継がれないことです。
スタッフを引き続き雇いたい場合は、新院長との間で新たに雇用契約を結ぶことになります。
カルテについては、お互いに勝手に受け渡しすることができず、行政との相談が必要になります。
以上のことから、個人開業のクリニックは、医療法人に比べると事業承継が複雑になる傾向があります。
【注意点3】医院・クリニックの財産の承継や課税について
次に、個人開業の医院・クリニックの財産の承継問題や課税についてお話します。
無事に後継者が決まり、生前に院長を交代することが可能となった場合は、次の3つのパターンが考えられます。
①後継者と医院・クリニックの財産についての賃貸借契約を交わす
②生前に売却する
③生前は賃貸借契約を締結し、死亡後に売却する
後継者と医院・クリニックの財産についての賃貸借契約を交わす
賃貸借契約であるため、クリニックの財産は自分の手元に残り、賃貸料が入ります。
なお、賃貸物件は相続されることから、賃貸料は相続人の賃貸料収入とすることが可能です。
自宅兼クリニックといった建物になっている場合には、クリニック部分だけ賃貸するので自宅がなくなることもありません。
一方でデメリットもあります。
賃貸の滞納や不払いなどのリスクは発生しますし、自宅兼クリニックの場合には、同じ敷地を利用することによるトラブルも考えられます。
つまり、借り手の質を見極める必要があります。
生前に医院・クリニックを売却する
生前に売却する場合の注意点は、院長を交代した後の自分の生活資金の確保です。
医院・クリニックの譲渡所得だけで、その後の生活資金が確保できないことは避けなければいけません。
このようなリスクを避ける方法として、売却相手のクリニックの勤務医となる方法があります。
しかし、クリニックの経営権は譲っているわけですから、給与や待遇は今までのようにはいきません。
また、土地建物が自宅兼クリニックの場合、クリニック部分だけを売却すると、やはりトラブルが発生する可能性があります。
生前に売却する場合は、場合によっては、自宅部分も含めてすべて売却し、自分は転居する覚悟も必要になります。
課税の話をすると、不動産の譲渡は譲渡所得となるので、譲渡所得税(所得税15%、住民税5%)が発生します。
不動産以外に棚卸資産などを譲渡する場合に、譲渡価格と帳簿価格が同額であれば利益が出ないので課税は生じません。
しかし、帳簿価格より高い金額で譲渡して利益が出るような場合には、その利益分に課税されます。
例えば、取得金額5000万円の建物(減価償却分1800万円)を、4000万円で譲渡した場合、売却時の帳簿価格は、
取得価格5000万円-減価償却分1800万円=帳簿価格3200万円
となります。そうなると譲渡による利益は、譲渡費用が300万円であれば、譲渡利益は
譲渡金額4000万円―帳簿価格3200万円―譲渡費用300万円=譲渡利益500万円
となります。
クリニックの建物を売却以前に5年以上保有していれば、これに対して所得税と住民税を合わせた20%、つまり500万円✕20%=100万円が課税されます。
そうなると、手元に残る金額は、
譲渡金額4000万円―譲渡費用300万円―課税100万円=3600万円
となります。
また、譲渡所得税については税率は一律20%ですが、医療機器などの譲渡は所得税となります。
医療機器等を減価償却残高以上の価額で売買し、利益を得る場合には、思いのほか税率が高いこともあるので、注意が必要です。
平成27年度以降の所得税の累進課税については、次のとおりになります。
課税される所得金額 | 税率 | 控除額 |
---|---|---|
195万円以下 | 5% | 0円 |
195万円を超え330万円以下 | 10% | 97,500円 |
330万円を超え695万円以下 | 20% | 427,500円 |
695万円を超え 900万円以下 | 23% | 636,000円 |
900万円を超え1,800万円以下 | 33% | 1,536,000円 |
1,800万円を超え | 40% | 2,796,000円 |
4,000万円超 | 45% | 4,796,000円 |
※国税庁のHPより
生前は賃貸借契約を締結し、死亡後に売却する
医院・クリニックの土地建物は賃貸物件であることから、
生前は、賃貸借契約の状態を保ち、死亡後にクリニックの財産を相続した相続人が売却すれば、その相続人は相続税額の取得費加算の特例を使用できます。
そうすると、土地建物の売却に係る所得税を軽減することができます。
ただし、売却できるかどうかは、その時になってみないとわかりません。
また、停止条件付賃貸借契約にすると、相続人が売却か賃貸借契約かを自由に選択できなくなることになります。
そのため、相続が発生した際の当事者同士の判断に任せるようにしたほうが良いと考える人もいます。
【譲渡所得に係る相続税額の取得費加算の特例について】
相続により取得した土地、建物、株式などを、相続開始のあった日の翌日から相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までに譲渡した場合に、自らが収めた相続税のうちその譲渡した財産相当額を譲渡資産の取得費用に加算することができます。
譲渡所得の計算は、先に計算例を示したように、
- ①帳簿価格=取得費用―減価償却費
- ②譲渡所得=譲渡金額―帳簿価格―譲渡費用
で計算されるため、取得費用に加算することで譲渡所得を小さくすることができるため、課税負担を軽減できます。
【注意点4】個人の医院・クリニックの営業権の譲渡
個人の営業権の譲渡は可能ですが、所得税の考え方としては、譲渡所得ではなく、事業所得とみなすことが一般的です。
というのも、医師や弁護士などは、その人固有の能力に左右される仕事であるため、その「能力」を売ることはできないと考えられています。
そのため、単に営業権を譲渡した場合は、クリニックの事業活動の一環で売上を上げた、とみなされるからです。
事業所得となれば、総合課税の譲渡となるため、先に書いたような累進課税となります。
医院・クリニックの売却価額に営業権も盛り込んで売却することも場合によっては可能ですが、その際は税金に注意しましょう。
なお、この営業権については、相場観を図って算出するのが難しいため、M&Aの経験の多い専門家に相談することをお勧めします。
【注意点5】個人とクリニックの資産の線引き
個人のクリニックの場合、資産でも負債でも、個人とクリニックの線引きが曖昧になっているケースが多々あります。
個人の生活費が含まれていたり、クリニックとは関係ない個人の借入金が含まれていたりすると、正確な譲渡価格の計算ができなくなります。
そうなると当然M&Aの交渉がスムーズに進まなくなるため、財務内容をクリアにしておくことが求められます。
事業承継、M&Aを見据えて医療法人化を検討
ここまで個人開業のクリニックのM&Aについてお伝えしましたが、M&Aを見据えて医療法人化するのは検討の余地があります。
一定の利益を超えれば法人税率が所得税率より低くなったり、役員報酬や退職金で所得分散ができたり、税金対策でも有利です。
ですが医療法人は税金対策だけでなく、そもそも病院やクリニックが永続的に継続していくために政策上認められた法人制度です。
そのため、個人開業のクリニックよりは、医療法人の方が承継の相性が良くなります。
個人開業の場合は、先に書いたように建物や医療機器などの資産は引き継ぎますが、負債やスタッフとの雇用契約、機器の保守契約、カルテなどを引き継げません。
一方で医療法人の場合は、すべてまるまる引き継ぐことになります。
経営者を交代させ、理事長の変更、出資または基金を承継することで事業承継がスムーズに進みます。
たとえば個人事業なら、万が一院長が死亡したときは廃業するしか選択肢はありません。
しかし医療法人であれば、医師でない奥様が一時的に理事長になることができれば、その間に事業承継の時間を稼ぐことができます。
ただし、これから医療法人を設立する場合は、出資持分あり医療法人ではなく,すべて出資持分なしの医療法人となります。
やむをえず解散となると拠出金以外は国に寄付する形になり,退職金などによるコントロールが必須となりますので、慎重に検討しましょう。
その代わり、売却した際にかかる所得税が拠出金にのみかかるので、持分あり医療法人より相続税負担がかなり少なくなります。
詳しいことは、次の記事をご覧ください。
【関連記事】【医療法人M&A】持分あり(旧法)と持分なし(新法)で何が違う?
【まとめ】医療法人化も含めてM&Aを見据えた準備を
今回は、個人開業の医院・クリニックのM&Aを活用した事業承継の注意点について書きました。
個人のクリニックにしても、医療法人にしても、廃院よりM&Aのほうがメリットになることが多いです。
廃院となれば地域医療への影響も出てくるので、親族やスタッフ間の事業承継が難しい場合は、M&Aを視野に検討されることをおすすめします。
また、医療法人化することでM&Aをスムーズに進めることができるので、税金上どれだけ有利になるかも含めてシミュレーションするようにしましょう。
利益が出ていれば、早めに医療法人化した方が、医療法人のメリットを享受することができます。
監修者
笠浪 真
税理士法人テラス 代表税理士
税理士・行政書士
MBA | 慶應義塾大学大学院 医療マネジメント専攻 修士号
1978年生まれ。京都府出身。藤沢市在住。大学卒業後、大手会計事務所・法律事務所等にて10年勤務。税務・法務・労務の知識とノウハウを習得して、平成23年に独立開業。
現在、総勢52人(令和3年10月1日現在)のスタッフを抱え、クライアント数は法人・個人を含め約300社。
息子が交通事故に遭遇した際に、医師のおかげで一命をとりとめたことをきっかけに、今度は自分が医療業界へ恩返ししたいという思いに至る。
医院開業・医院経営・スタッフ採用・医療法人化・税務調査・事業承継などこれまでの相談件数は2,000件を超える。その豊富な事例とノウハウを問題解決パターンごとに分類し、クライアントに提供するだけでなく、オウンドメディア『開業医の教科書®︎』にて一般にも公開する。
医院の売上を増やすだけでなく、節税、労務などあらゆる経営課題を解決する。全てをワンストップで一任できる安心感から、医師からの紹介が絶えない。病院で息子の命を助けてもらったからこそ「ひとつでも多くの医院を永続的に繁栄させること」を使命とし、開業医の院長の経営参謀として活動している。